「仮想」を体感する(最終回)

2019-05-15 19:15[

田中泰輔の通貨にまつわる仮想 仮想通貨 暗号資産

「仮想」って何だ

ビットコインが、昨年12月の3000ドル近い底値から、8000ドルに向かって上伸している。前回、「仮想通貨へのネガティブなリアリティ強化プロセスが、ようやく終わりそうな温度感を、昨年来初めて抱いている」と記した。個人的には、相場の回復以上に、仮想通貨市場が健全に相場の体をなすよう育つことが嬉しい。

ただ、相場情報の専門家として、市場の「仮想(virtual)」を観察してきた目には、仮想通貨の「仮想」とは何なのか、「仮想通貨」という呼称にそもそもすっきりしないものを感じていた。少なくとも私自身が取り組んできた市場の「仮想」とは趣を異にする意味合いである。

IT化の進展で仮想と現実(real)の境界はますます見えにくい時代になった。出回るニュースやデータも現実か否か判然としない。個人レベルでも情報発信力が高まり、出所不明の情報が溢れている。二人の知人から同じ情報を聞かされると、多くの場合、真実と受け取られてしまいがちだ。

SNSには大量のフェイク・ニュースが意図的に流される。フェイクでないニュースであっても、AIにプロファイリングされた個々人の心理に働きかけるよう、選別された情報が送り込まれる。自分の思考は本当に自分自身が行ったものか、他者から誘導されたものかすら、なかなか判別できない。

私が相場情報を扱うときは、他人に加工された情報を排除し、当事者の元情報・データを私自身の分析ツールに入れて求めた判断を基本とするよう努めてきた。

 

小説・映画で体感した「仮想」

小説や映画は「仮想」を体感する教材として、早くから有用だったかもしれないと思う。宇宙旅行、ブラックホール、タイムワープ、アンドロイド、AIのシンギュラリティなど、小説や映画がイメージを生々しく描写し、それを科学が追いかけることも少なくない。

私にとって、夢と記憶の処理人を描いたマイケル・マーシャル・スミスのSF小説「ワン・オヴ・アス」(ソニー・マガジン社、1999年刊、嶋田洋一訳)の一節は、金融市場そのもののように思われて、以来、頭に刻み込まれている。

「ある時期にわれわれは言葉というものを獲得し、それとともに向こうの世界から隔離されてしまった。世界を直接に理解するのではなく、思考が体験を媒介するようになったのだ ― 観察するのをやめてみれば、自分が思索の対象と切り離されていることはすぐにわかる。」

同書の1年前に出版された鈴木光司著「ループ」(現在、角川ホラー文庫)は、呪いのビデオのホラー「リング」、続編のバイオ・サスペンス「らせん」に連なる作品である。ビデオ・テープへの念写、それを観た者への呪いの感染、そんなことが起こりえたのは、実はコンピューター上のシミュレーション世界のバグだった…と、三部作それぞれが趣を異にする展開は斬新だった。欧米金融機関がITの高度化を競っていた当時、コンピューター内部の仮想世界と現実世界の境界が交錯する描写を、どこか金融市場の未来の姿に重なっているように感じたものだ。

仮想の世界を更に徹底したのは、ご存じ、アメリカのSF映画「マトリックス」(1999~2003年の三部作)である。ほぼ全ての人間は機械によって養殖され、記憶を管理され、仮想の日常を現実として受け入れて疑うこともない、そんな世界観を描き出した。

「マトリックス」は日本のアニメ映画「攻殻機動隊」(1995年)からのインスピレーションを得て創作された。90年代は、コンピューターとそのネットワーク化が急速に進歩したが、仮想の世界観については作家の想像力が先行した。

SFの世界観を金融の世界につなげることに、飛躍が過ぎると思う読者もいるだろう。そこで、極めてリアルなサイドから、私たちが知っているはずの情報の現実感とは何かを考えさせる教材として、上映中の映画「バイス」を推奨したい。小説「ワン・オヴ・アス」が描く「思考が体験を媒介する」世界、まさにそんな金融市場の世界で、情報の意味と行く末をご一考頂ければと思う。

金融という仮想世界

仮想通貨に話を戻そう。このコラムは、ビットコインなど仮想通貨を、あくまで相場の対象として、正体を明らかにし、値動きの性質を捉えようとした。もっとも、仮想通貨に特有なものを探求すると、むしろ、一般の通貨や資産と共通する部分を浮かび上がらせる。

実は、一般の通貨、資産がかかわる金融はすべて「仮想」で成り立つ世界と言える。そうであればこそ、当コラムは「通貨にまつわる仮想」というタイトルの下に、「仮想通貨」を考察した。

モノやサービスの取引、投資、送金など、マネーの動きには必ず情報が付いて回る。マネーが様々な情報を運ぶ媒体になるのは、何とでも交換できる信用そのものだから、である。

そして、金融は、マネーを余らせている人と、使いたいのに足りない人の間で融通することを言う。マネーを借りた人は、利子と元本を返済しなければならない。そのため、将来に借金以上の収入を得る目算を立てる。貸す側はその将来収入の見込みを信用して貸す。

つまり、金融は現在と将来をつなぐ。将来はこうなっているだろうという仮想に基づく。しかも、現在より将来が成長していることを前提に成り立っている。資本主義経済の成長は金融と相まって進行してきた。

金融の世界での勝算は、未来についての仮想をどう現実につなげるかで決まると言って過言でない。この仮想が、人間の素朴な想像にとどまらず、今やIT、さらにAIによって膨張し、複雑に交錯する世界に突入している。

仮想通貨から暗号資産へ

予てから、仮想通貨の「仮想」については、その意味するところがあいまいだった。コインや紙幣のような実体がないという意味なら、クレジット・カードや携帯マネー、オンラインでの決済など、キャッシュレスで通用するマネーも同じである。そもそもコインや紙幣であっても信用という仮想の上に成り立っている。

仮想通貨の「仮想」は、その捉えどころのなさが、別の形で妙な存在感を発揮した面がある。政府や中央銀行など当局のお墨付きを必要としない、コンピューター・ネットワークの中で湧き出てくる、自由で民主的なマネーが新しい未来を拓いてくれるとばかりに、「仮想」という言葉のイメージが「幻想」を膨らませた面があるかもしれない。

海外では英語の「crypto currency(暗号通貨)」という呼称が一般的だった。日本政府も近く、仮想通貨について法整備を進め、正式な呼称を「暗号資産」に変える。ずいぶん窮屈な定義に押し込まれるかの印象がある。政府としての意図もあろう。その一方で、それはそれで実態をより良く表す呼び名とも思う。

仮想通貨を「ブロックチェーンという暗号を信用の裏付けとするデジタル・マネー」と言い切ってしまうと、なんとも味気なく感じる。しかし、ここまですっきりさせると、「幻想」を拭って、発展の可能性や障害を具体的に考えやすくもなる。言葉の持つイメージの力はあなどれない。     

そして、ニムロッド

ところで、今年第160回芥川賞を受賞した上田岳弘著「ニムロッド」(講談社)は、たすきに「新時代の仮想通貨小説!」と銘打っている。純文学は買っても読み進めないことが多いのだが、この一言に惹かれて購入し、読了した。

無から有を生み出すことのはかなさ、おぼつかなさ、不完全さを、ビットコインを絡めながら、人について、技術について折り重ねるように描き出していく。エンターテイメントとしての「ループ」や「マトリックス」のような、仮想と現実を対立軸に置く筋立てではない。薄い本なので、仮想通貨を現実のビジネス、投資の対象として扱っている人たちが読み飛ばせば、何ともとらえどころのない話という読後感だけかもしれない。

ただし、著者はITに従事するという。仮想通貨に土地勘があって書かれたものかと思えば、読者の心に異なる響きもあるだろう。マネー、情報、テクノロジー…の仮想を追いかけることに明け暮れる日常だからこそ、精神のバランスの深淵を見直す機会の一つとしていかがだろう。さすがに「ニムロッド」は好著である。

あとがき

当コラムは今回をもって終了です。FXcoin社は、仮想通貨という新しい可能性を健全に育成することを期して、グローバル金融機関のかつての同僚たちが多数集っています。その意志を応援したいと、寄稿を引き受けました。だからと言って、仮想通貨の未来を礼賛するのではなく、私なりに問題は問題として取り上げました。それをそのまま掲載する寛容さに、FXcoin社の真摯な姿勢が表れていると、いつも感服しておりました。FXcoin社の、そして仮想通貨に係る全ての方々のご健闘を祈念しております。

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